音を減らして、減らして…
ひととおり書けた、つもりでいた組曲の中の、短い1曲を久しぶりに取り出し、
もうひたすら、音を減らして、減らして…。
単なる自己顕示だったことに気づきました。
書いていて楽しくなかったんです。
ショボくても、心からの音を書きたいです。
結果、かなりシンプルになりつつあります。
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ひととおり書けた、つもりでいた組曲の中の、短い1曲を久しぶりに取り出し、
もうひたすら、音を減らして、減らして…。
単なる自己顕示だったことに気づきました。
書いていて楽しくなかったんです。
ショボくても、心からの音を書きたいです。
結果、かなりシンプルになりつつあります。
昨夜夢を見る。とあるビジネス街のビル一階に、感じのいい70代くらいのおじさんが切り盛りする果物屋。高級果物だけでなく、すぐに食べられる安いものも売っていて、仕事の出勤前や昼休みに買って行くビジネスパーソンたち。私もおじさんとの暫しのお喋りを楽しみつつバナナを買った。 店の隣に不思議な、おもちゃが壁に飾られているエレベーターホールが。気になっておもちゃを暫し眺める。やがてそれは、かつてそのエレベーターの事故で死んだ息子のメモリアルだったことを、おじさんに聞く。 2014-04-04 fri.
夢を文章にすることと、作曲は、実はよく似ています。
夢は、普段起きている時の思考では、絶対にあり得ない不思議な思考をしますよね。
作曲も、普段の生活している時の意識ではまず出てこない、音やメロディを思い浮かべることで、本当に素晴らしい音楽が作れるのだと思います。
♪ 脳の作曲回路はチューナーになっていて… ♪
普段の生活している時に、頭でいろいろ考えても、良い音楽はまず生まれません。
どうも、作曲というのは、生活での思考回路とは全く別のそれを使用するようなのです。
脳の、その、作曲回路、の中で全てを作れるのではなくて、それはいわゆるチューナーになっていて、宇宙の、音楽の神さま、とわたしが呼ぶ意識とのチューニングで、音やメロディを頂く。それを五線に書くことで、地上で具現化される準備がされる、と、こんな感じです。
♪ 構造なんか考えない ♪
作曲は、パズルを解くのとかなり似ている気がします。今分かるところから取り掛かっていくと、やがて全体像が見えてくるのです。
構造は、最初は、ありません。構造は、作っていくうちに段々と出来てくるのです。
但し、こんなふうにしたいな、というのを思ったほうがいいです。
ちゃんとその通りになる時もあるし、その通りにならない時もあります。その辺は、音楽の神さまにお任せすることになるし、その方がうまく行くのです。
♪ 作曲部屋はプチ聖地 ♪
私の作曲部屋は小さいながら、聖地のような空間になってしまいました。
小さな作曲部屋に過ぎないのですが、自分でも、プチ聖地とでもいえる、素晴らしい清らかな空間が出来上がった、と喜んでいます。
但し、日々の作曲で実際にそれらを活かすことと、掃除・整理整頓が必須です。
♪ マシンに囲まれて作曲する夢、実現 ♪
特に私の部屋の場合、コンピュータと電子鍵盤楽器と周辺機器に囲まれています。
マシンにいっぱい囲まれた中で作曲することは、中学生の頃からの夢でした。
♪ センセに触発されてMac使いに ♪
一応書いておきますが、決してセンセ (作曲家吉松隆先生) のお仕事場をパクったわけではなく、センセに触発された感じでした。
子どもの頃から自分の中にずっとあった、マシンに囲まれて音楽を作る夢。しかしそれは難しい、と勝手に決めつけ、実現しようとせずにいた私の夢心をくすぐられ、「憧れるのなら自分が早くそうしなさい」みたいな後押しされた感じでした。
結果、子どもの頃の夢は、 (当初とはかなり形状も使用マシンも違いますが) ようやっと実現したのです。かなり時間が掛かってしまいましたが…。
私は今、Macユーザーですが、現在でもWindowsパソコンを使用していますし、もともとは、コンピュータという不可思議なマシンそのものに憧れたのでした。
その憧れが生じたのは、まだインターネットはおろか、Macさえこの世に誕生していなかった頃からです。私は小学校3年でした。
Windows95からのWinユーザーだった私が、Macをメインマシンに決めたのも、決して吉松先生のパクりではなく、数年前、エレクトーンを弾いていた頃からの夢で、多くの音楽家はMacを使うことをそこで知り、それがWindowsユーザーにはない、独特の文化や思い入れ、仲間意識がいいな、と思い、ずっと憧れていたのでした。
その中でも、吉松先生はディープなMac使いなので、かなり刺激を受けました。
表立っては、「もし私がWindowsパソコンで作曲するのが向いているというのなら、Windowsでシステムを作ります」などと控えめに書いていたのですが、腹の内は「Macが欲しい!!」の思いでいつも一杯だったのです。
そして昨年、念願のMacユーザーに。時々、こんな恵まれた中で作曲ができる現実に、こわささえ感じられてしまうのです。
♪ 心身と空間を整える 〜禅の修行みたいな !? ♪
私は基本的に、美しく清らかな音楽を作曲したいので、情報を受け取る私自身の心身と、それらを置く空間を、まず美しく清らかに、を保つ、が必要だと考えています。
朝起きると、身支度と整容を行うことはいうまでもありませんが、空間を整えることも重要です。きちんと部屋と机上の掃除、整理整頓をしています。これは別に作曲でなくても、いろいろな良い効果があります。
きれいになったところで、コンピュータの前に座ります。気功や坐禅でいう調身調息調心みたいなのが、私の場合重要で、「これから作曲を始めます。よろしくお願いします。」という合図になるのです。
すると初めて、脳の作曲回路とチューナーがONになります。そして私が望めば、音やメロディを頂ける、そんな感じです。
禅の修行にも似ていますね。
♪ 本質的に、僧侶の生き様を真似たい〜真似しなくていいです ♪
あと、早朝の坐禅を、かなり休みながらもトータルでは何年も続けていること。これは死ぬまで続けたいです。
食生活にも気を遣っています。
徹底した禁酒・禁煙などは、あくまでも、真似しなくていいです、私の天分です。この辺はかの作曲家先生などとは真逆です。
お酒を飲む人にしか見えない広い世界があることは理解しますがそれらは私には全く見えません。
が、お酒を全く飲まない人にしか絶対に見えない、広くて大きな、別の、素晴らしい世界が実はあります。それを私だけの音楽のステージにしたいです。
いづれかベジタリアンになりたい、という夢もあります。(指揮者のヘルベルト・ブロムシュテットさんを尊敬しています。)
人間はやがてその魂が進化すれば、お祭りをしなくても毎日お祭りのように幸せな気持ちになれるし、お酒を飲まなくても幸せな気持ちでいられるようになればお酒は必要なくなるし、動物を殺して食べなくても幸せな気持ちでいられるのなら、わざわざ殺生して肉を食べる必要はなくなる、と、私は思っています。
本質的に、僧侶の生き様が、私の生きる理想です。しかし僧侶・尼僧の資格を得る必要も最近はあまり感じません。本物の僧侶にさえ、本来の戒律を徹底している方は現実には殆どいらっしゃないようですから…。
そんな私の生き方、誰にも真似されたくないし、真似する人はいないと思います。たまたま似ている人がいたとしたら、お互い、それぞれの場所で頑張りましょう、という感じですね。基本は、私はひとり、を望みますので…。
大まかなイメージを示すコードネーム (愛称) を、作曲中の楽曲の、あるセクションに付けております。
これは、「交響的遊戯〜花火」(仮)の一部分です。
適当に「天空のフーガ」です。
(Mac OS X 10.8 : Mountain Lion、10.9 : Mavericks みたいな。)
こんな記事も、今のうちです。お金をいただけるようになったら、作曲中ネタは基本的に書くことはできなくなりますから。そうなるつもりでおります。
大体、浮かんだものを素直に書き込んでいくとうまく響いてくれます。しかし理論的に考えることは常にしております。
3管テンプレートがわたしのホームベースです!?。
ピアノ譜には書かず、ダイレクトに書き込んでおります。対位法楽曲はこれが書きやすいです。
自分でも意外ですが、Constance Demby 'Novus Magnificat' の影響を改めて観じております。
つぶやき的な記事ばかりでスミマセン。
本日、渡されていた子守唄シリーズの第一段完成。
お歌作曲 (と勝手に命名している) は、歌詞から自由にイメージを創りだしていくことができて楽しいです。
今日完成したのが、季節的には早いのですが、梅雨の季節の歌です。雨がしとしと、延々と降っている様子をピアノ伴奏で表現してみたり、歌詞の単語のイメージからメロディの音の流れやリズムを作ります。
夜、食事しながら母と (YouTube@iPadで) シューベルトやブラームスの子守唄を聴きました。子守唄とはかくあるもの、音域は高すぎず、ゆったりとしていて、眠りに誘うことがポイント、だとか語り合いながらです。高いキーで歌っているドイツリートの子守唄も聴きましたが、これは本来の子守唄ではなくて芸術目的の歌曲ですね。さらにはグールドの弾く ('81年版) バッハのゴールドベルク変奏曲は、演奏は確かに眠気を吹き飛ばしそうな勢いだけど、同じ繰り返しだからなんだか眠くなってきたと母が言うのでした。あーなるほど。
P.S. ケータイを iPhone にする理由は今のところない…… と先日書きましたが、Softbank で機種変更無料のキャンペーン中だとかで、あと、今までの 3G端末が、既に数字キーが1コ取れてしまって (ということは今後、他のキーも取れてしまう恐れは十分にあるということ。) 外装も角が剥げてしまっている、というのは、相当使い込んだ珍しいケータイだと母に云われてしまいました。私はものを大切にする人なのですが、もうそろそろ替え時かな……… というワケで、キャンペーンは5月末までということなので検討段階に入りました。
何故だか、むしょうに、ここ5年間のMy音源を聴き返したくなってしまった。その果てに、夜中の1時過ぎに、「あそびをせんとや… 及び清盛の主題による交響的遊戯」 の finale ファイルを久しぶりに開いて Playback してみたら、いろいろと直したい箇所があるではないですか。遊び感覚で修正しまくりました。ラストのサビで、ホルンが出てくるのだけど、ここまで盛り上がっているにもかかわらず、なぜトランペットが眠っているんだろ!? と不思議に思い (←私が書いたのだけど汗; … ^ ^ ; ) すぐに2本のトランペットに登場していただきました。最初の4小節はホルンとユニゾン、後の4小節はそれぞれに分岐しますが、トランペットらしくちょっと高い音で叫んでもらいたいな……… オーケストレーションの感覚が戻ってきました。かつて鉄道趣味で触れた、ダイヤ表と、オーケストラのスコアはなんだか似ています。現場は机上の駒の振舞いのようには、なかなかいかないのかもしれないのだけど、それでも決められるところまでは決めていいのです。
交響曲って、どうやって作っていけばよいのだか全くわかりません。作曲家によってその方法は違う、作曲家の数だけ方法があるわけです。ですが、とにかくまずはフーガのテーマ、こんなふうに叫びたい、みたいに、思いついたところから書き出しています。頭から順番、というふうにはできそうもないので、まずはジグゾーパズルみたいに見つけたパーツから少しずつ組み立てていくこととします。
今まで、漠然といろいろなクラシック曲を聴いてきた時と違って「交響曲という形態の音楽が書きたいのだけどどういうふうにすればいいんだろ?」 と思った途端、入ってくる情報が全く変わってしまいました。明日のブラオケ@東京発でブラームスの第1番が聴けるということで予習してみましたが、スコア見てこんなに感激したのは初めてだった気がします。やっぱスゴイよ、ブラームス先生………。
思いついたメロディを五線に或いは音にするというのは、何か、夢を見て目が覚めてからそれを文章にする感覚に似ています。明らかに通常の意識とは違う意識が働いている。それをこの世の音にするというのは以前から何か恥しさがありました。恥しさを捨ててとにかく日記を書くように書いていくうちに、羞恥心は段々と消えてしまいます。
何年も掛かりましたが、エレクトーンを弾いていた時期から、作曲脳を醸成してきました。最初はワケのわからないオーケストラの響きがモヤモヤとしていたのですが、最近ではかなりデジタルに思い浮かびます。私が望めば、頭の中では、幾らでも新しい音楽が胎動します、が、この3次元世界で生きられるそれのみがカタチになるというわけ。
音楽は、作曲と演奏とで創られるものだから、作曲家は演奏サイドが考える細かい演奏表現の範囲まで深刻に考え詰める必要もないことがわかってきました。
では自作自演ではどうするか、といえば、演奏する時は演奏モードにスイッチする必要があります。
以前、エレクトーンでレジストレーションを自分で作成していた時にそれは感じました。演奏の練習中は練習に専念しないと、弾きながら、(レジストを) ここはこう直したい、が次から次へと出てきてキリがないのです。あまりアレンジに力を入れ過ぎていると演奏の練習がおろそかになってしまうという、電子オルガンは自作自演が基本なのでその辺の気持ちのスイッチが大変だと思います。
私は、演奏はピアノでもエレクトーンでも窮まらなかったのですが、作曲や編曲というのは、演奏みたいにリアルタイムではないところがいいのです。締め切りに間に合いさえすれば、えっちらおっちらモードでもOK、知っている音楽語彙のみである程度のものは作れてしまうのもいいです。
それでは真夜中の遊びはここまで、おやすみなさい………。
渡されている詩に、まずは歌を付けます。限られた音域の中で表現は限られています。
メロディー譜には必ず、コードネームを書き添えます。
ここまでが純粋な意味での作曲、後は「編曲」になります@ポピュラーの場合は。
しかし、作曲する歌がクラシックかポピュラーか、は問題にはしていないです。
最近、シューベルトの歌曲を聴きましたが、ピアノ伴奏までも含めて素晴らしい作品ばかりですよね。「魔王」なんて、あの3連のだだだだだだ……の伴奏なしでは考えられない…。
ピアノ伴奏の編曲、ではなくて作曲が、うまくできるかな!?。
それができたら、お次はCD用オーケストラ編曲が待っております。
お歌以外では、構想段階としては、いろいろなプロジェクトが既に存在します。
とにかく、書いてみないことには、頭のなかだけではなにもわかりません。書くことで新たなアイディアやイメージが初めて浮かびます@私の場合。
作曲の足跡をふりかえる@崇徳へのレクイエム
今までのfinaleデータは、全て OCN (cocoa) の 「マイポケット」 なるネットストレージに保存 (バックアップ) してきたのですが、今、ひとまず完成したところで、それらをひとつひとつ呼び出して、Playback してみました。
書きかけの楽譜データを見直す。曲が作られていく過程を辿る。微妙なメロディの変化。小節が段々と増えていく。
ちょうど、仕事がとても忙しい時期と重なってしまったことと、途中で崇徳の生涯を調べたりしたので、2週間、1週間作曲が中断してしまった時期があり、その間「あの後どうしよう…」と、いつもいつも、不安になっていたのです。
特に書きかけの終端箇所を改めて見て、「あ~ここは、この先どうしよう… って、何日も思い悩んだ箇所だ」 などと思い出しました。
しかし、それらは全て杞憂でしかありませんでした。その後、それらは全て、素晴らしく続きを書くことができました。
とにかく席に着いて、finale を開くことです。まずは今まで書いたものをPlaybackして気楽に、とにかく楽しんでみる。それを聴いていると、大抵、気になる箇所があるから、それを修正していきます…… これをやっていくうちに、段々と脳のチューニングが作曲中の楽曲に合ってきます。そうしたら、書きかけの終端箇所も段々とその答えが見えてきます。
「こうしたい」というイメージがあれば、素直に従ってみるとよいです。「でも……」などと余計なことは考えないほうがいいみたいです。
今回、最初のフーガの主題を書く時に、頭に浮かんだものが顕在意識で納得できず、しばし迷っていたのですが、とうとう折れて(笑)、素直にその通りに書いてみたら、「おお~~っ!」自分でも驚くくらい素晴らしいと感じました。
ラストのサビ (朝廷の主題のトゥッティをヴァイオリンでフォルテで奏でる!) も、頭で「以前書いた曲に似ている。使いまわしはイヤだなあ」などと考えて、なかなか書こうとしませんでした。
ところが、それ以外全然頭に浮かばないものだから 「もう仕方がない、それで書きます」と、書いてみたら、なんて素晴らしい! 朝廷の主題が魂の叫び!となりました。自分でも感動しました。
ですから、思い悩んでいるのは時間の無駄だとわかりました。
とりあえず「素直に」なってみることですね。
作曲はチューニング。
あくまでもわたくし、村山智美の場合。
私は、まずは顕在意識で「こうしたいな、ああしたいな」とある程度、楽しみながら構想をした上で (メロディやハーモニーを簡単に五線紙に手書きしてみたりすることも。但し実際に使用するのはごく一部だったりします)、基本的に、頭から順番に書いていきます。
書くのは自分ですが、「この後どうしよう」ではなく、「この後どうなるんだろう」という、ワクワクした気持ちが基本です。
その際、「こんなふうになったらいいな」「こんなふうになるの♪」 などというアイディアがあればどんどん思い浮かべること。これらのイメージやアイディアは、本当にその楽曲に必要であれば、ちゃんとどこかで活かされる時が来ます。
但しそれがいつ、どこになるかは、それこそ音楽の神さまにお任せすることです。
「作曲はチューニング*=音楽の神さまとの共同作業」だと信じて疑わないので、自分の、このちっぽけな脳と、たかだか数十年の記憶や経験の蓄積だけで、素晴らしい音楽が書けるなどということは絶対にありえない、と、私はいつも思います。
*「チューニング」については、詳しくは「波動の法則」(足立育朗著 ナチュラルスピリット) をご参照ください。
普段、生活している時の意識では作曲はできません。(きっぱり!)
しかし「こうしたい」と、「音楽の神さま」に自分の希望をオーダーすることは有効です。但し全てがそのとおりになるとは限りませんが。
「適当」の中に神が宿る、ということと、手指 (鍵盤を弾くこと) は、顕在意識を介さずに音楽の神さまの意志を直接受け取る、よい方法です。
「音楽の神さま」と、いつも表現していますが、適切な言葉が思い浮かばないもので……。
その、「音楽の神さま」とつながるためには、「自分自身が音楽の神さまを真似る」ことです。
テレビやラジオの電波のチューニングと同じで、受信のアンテナから、僅かに同じ周波数の電波を「発振する」ことで、受信ができる、あれと全く同じことです。科学ですね。
では、どうすれば、音楽の神さまを真似ることができるか……… ふっふっふっ、そんなことは自分で体得することです♪。( ̄ー ̄)
真似ること、一生続ければ本物に。
「この後どうしよう…」ではなく、どんなに先が見えなくても「この後どうなるんだろう、ワクワク♪」が、作曲の基本です。
先が見えてこなくても心配しないことです。今、目の前に進む道があるのなら、その先など心配せず、進めるところまで進んでみましょう。その一本道が終わる、まさに直前に、次の道が見えてきたりします。
あなたが作曲を心から楽しんでいる、ワクワクしているのを見れば、サポートしてくださっている音楽の神さまが喜ばないはずはありません。
そして「よし、もっと素晴らしいアイディアを送ってあげよう♪」ということになるのですね。
あなたもやってみませんか!? Ф(^∇^)♪
以上、私自身の思いを整理するために、自分自身のためにまとめてみました。
結局のところ、ここに書いてみたことは、よりよい人生の生き方と同じですね。
ちょうど、タイムリーにもニュースが。
日本のトキは現在は「野生絶滅種」なのだそうです。
野生化が定着すれば「絶滅危惧種」となるが、今回は未だそこまでには至っていないということで、それは見送られた、とのことですが、
そんなトキたちの再びの野生化………私はこの作品で祈念いたします。
参考ウェブサイトのリンクも貼っておきます。
まだまだ「飼育」段階なのですね………。
そんな復活したトキたちへ捧げたい。
………「翔歌」(しょうか) です。
作品番号は4になる予定。
くどいようですが、プロになって仕事にするようになったら、こういったブログへのこと細かなUPは基本的にはしなくなるかと思いますので今のうち……。
'KIYOMORYTHM2012' 続いていますが、自身の作曲もやったほうがいいかと思うので……。
↑「無伴奏独奏楽器の組曲にする予定」と書きましたが、「独奏弦楽器」の無伴奏ソロと、それらの様々な組み合わせの組曲、となりそうです。
組曲の予定で、本日1曲目の無伴奏ヴァイオリンソロその1完成。
2曲目はヴィオラソロの予定です。
あと、チェロと、ヴァイオリンII と、いくつかの組み合わせの二重奏と、終曲で全員がフーガを奏でる………みたいに考えています。
1曲は3分程度でちょうどよいかな!?。
完全にバッハにかぶれていますね、私。
もっといろんな面白い音を使った方がいいかとは思うのですが………。
いづれかプロ作曲家として認められて、こういった曲が演奏された暁には、
収益金をトキの保護に寄付させていただきたいです。
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