いよいよ、来たる2012年はシンセサイザーアーティスト&クラシック音楽のコンポーザーになります。
まだまだ、アマチュア、YouTube オンリーだけど。
この数年間に醸成してきた、村山智美のイメージ世界というのがあって、
神道との出会いがきっかけのものがかなり多い~~大祓詞だとか、龍神だとか、水のイメージとかetc.... からいただいたイメージとかがあって、
クラシックであれニューエイジであれ、オリジナル作品をいよいよ、来年以降、生みだしていきます。
それがクラシック音楽なのか、ニューエイジと呼ばれるポピュラー音楽なのか、は、この際、問題ではない気がします。
自らのイメージ世界を形成し、それを音楽にする。つまりは Artist という類の音楽家。
姫神の故・星吉昭氏~シンセサイザー奏者:いわゆるNew Age といわれるジャンルのミュージシャン~は、まずはアルバム (CD) を製作 (自分たちで演奏までする、それを録音) ~リリースして、それからニューリリースのアルバムを中心としたコンサートツアーをされていたことを思い出す。
これが吉松隆氏~クラシック音楽の作曲家~ をみていると、その辺はまた違うかんじですね。スコアを作成されて、初演の場で演奏してもらって、CDを製作するのだったらレコーディングで演奏してもらってCDが発売になり…… となるのかな、詳しくはまだよくわからないのだけど。
何がいいたいかというと、とにかく各自のイメージ世界があってそれを音楽にしておられる、それを商業的に売っておられる、ということでは共通していて、
違うのはポピュラー音楽の世界での活動か、クラシック音楽の世界での活動か、であって、やっていることの本質は、ほとんど変わらないのでは………とか思ってしまったのです。
敢えて問題になることは………商業的にそれが売れるのか、どういう人たちに売れるのか。現実的にそれは考えないといけないかな。
あとクラシック音楽の世界はうるさいんだよね。その「うるささ」に適うかどうかの問題があるのかもね。
ヴァンゲリスの音楽なんて、たまたま彼は楽譜が読めなくて、もうダイレクトにシンセを演奏してレコーディングする他ないわけで、だからポピュラー音楽のアーティストなのだけど、
彼の音楽スタイルで、氏がもし楽譜が読めて、イメージをオーケストラの作品にしていたとしたら………そこにクラシックだとかポピュラーだとかの区別は意味がない気がします。
では私はどういう世界で音楽活動する Artist になりたいのか、というと、
私は、いわゆる音楽のジャンル分けそのものが、もう疑問です。
グールドが「コンサート・ドロップアウト」後に専念していたレコーディング。
彼にとっては既にクラシック音楽の、19世紀以降の伝統スタイル「演奏会」は関係なくなっていたのだから (故に戸惑った人たち、演奏会への復帰を望む人たちも少なくなかったようだが…)、
つまりはたまたまクラシックピアノを窮めていただけであって、レコーディングオンリーなのだから音楽ジャンルによる縛られなんて既になかったのではないかな。
クラシック音楽の世界では「初演」なるものにこだわるみたいだけど、
姫神の星さんみたいに、まずはCDをリリースして多くの人たちに聴いてもらってから、コンサートツアー、というスタイルの場合、いったいどの時点が「初演」なの!? ヴァンゲリスもしかり。
というか、彼らは「初演」なんてコトバは考えもしない。
それでも私は、既に存在する世界を少したりとも否定はしない。
ただ、様々な世界を行ったり来たりしたい、という望みがある。
それでいて、決してそこに完全に所属はしない。
同じ作品を、クラシック専門のコンサートホールでオーケストラで演奏するのと、
それ以外の場所で自由に「Live」としてシンセサイザーで演奏するのと、
お客さんも違うと思うし、聴衆の捉え方や受け、ノリも違うと思うし、
だけど同じ作品なのだけどね。
あとはその後の作品の行く末がそれによってどうなるのか、と、商業的な問題。
「オーケストラ版タルカス」の初演の時点で、クラシック音楽界の「不理解」なるものが存在した、という話。
あー、クラシック音楽界とは、未だに、そこまで、頭の固い人たちの多い世界なのだな、と、客観的に思った。
私は「タルカス」がオーケストラで初演されたことに、何の驚きも違和感もなかった。本当に自然で当たり前のことだと感じていた。故に当時それほど気にも掛けなかった。そういったリミックスがされることは当たり前で、あれほどの名曲&大曲、むしろ今まで誰もやらないでいたこと自体が不思議で仕方がないと思っている。
脳内にイメージがあって、それをシンセサイザー作品とするか、
クラシックのオーケストラ作品とするかで、その後の運命は全く変わってしまう、ということかもしれない。
さて、どうしようか。
でも、両方やってみたいんだよね。
ハイブリッドという方法もありえる。
吉川洋一郎氏の「地球大紀行」の音楽はハイブリッドだった。「龍馬伝」の佐藤直紀氏の音楽もそうだったよね。
ちなみに喜多郎のシルクロードの音楽は基本的にシンセオンリー (+α パーカッションとか) だったのだけど、放送当時はまだ小学校低学年で、いちど再放送で見てみた時、特別なんとも思わなかった (失礼…)。
やはり私にとって「大型企画ものNHKスペシャル (特集) の音楽」といえば、吉川洋一郎氏の「地球大紀行」なのです。
そしてそれは、まさにシンセと生オーケストラとのハイブリッドだった。
だからか、私も究極の夢を叶える時には、シンセ&オーケストラのハイブリッド+α と決めている。
最後に。
フリードリヒ・グルダ「プレリュードとフーガ」はクラシックピアノの作品なのか、ジャズピアノ作品なのか。
それは、演奏する場所によって変わる、ということかもしれない。
確かにクラシック音楽として書かれていることはわかる。
だけどもし、ジャズクラブで演奏するとしたら、アドリブを盛り込みたいよね。
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